「部品がない」と言われる時代
「部品がない」と言われる時代
昔は、壊れたら何でも直した。
靴は底を張り替え、腕時計は分解掃除をし、オーディオは真空管やコンデンサーを交換しながら何十年も使った。車も同じであった。キャブレターを調整し、ベルトを替え、部品を一つひとつ修理、交換しながら乗り続けた。私は今でもこの行為を行なっている。
傷んだところだけを直す。
それが、ものづくりの世界では当たり前だった。
ところが、今は違う。特に家電や住宅設備は顕著である。
実は最近、そんなことを考えさせられた出来事があった。
10数年前の機種にはなるが我が家のトイレが故障した時のことである。
早速、サービスに電話をしてみると「部品がありません。」「器具ごと交換になります。」
あまりにもそっけなく簡単に口にされる言葉、私は少し寂しくなる。
住宅は炊飯器や掃除機など持ち運びするような家電ではない。
十万円、二十万円の買い物ではなく、何十年も暮らすためにつくる住まいである。その設備もまた、家とともに長く使われることを前提に設計されるべきものだ。
にもかかわらず、保証期間は二年程度。補修部品の供給は生産中止後おおむね十年ほど。
電子制御化によって便利になった反面、部品単位では直せず、本体ごとの交換を余儀なくされる製品も増えた。
故障は少なくなったといえど、本当にメーカーとしての責任を果たしていると言えるのだろうか。
メーカーは「節水」「省エネ」「環境配慮」を掲げ、新しい商品を次々と世に送り出す。
もちろん技術の進歩は素晴らしい。
しかし、その一方で、少しの故障でも修理できず、本体を丸ごと廃棄する構造になっているのだとしたら、それは本当に環境に優しいと言えるのだろうか。
本当のエコとは、最新の商品を買い続けることではない。
直しながら、長く使い続けることではないだろうか。
昔のトイレは構造が単純だった。
ホームセンターで部品を探し、パッキンを交換し、水漏れを止めることができた。職人も知恵を絞り、家人も「まだ使えるなら直そう」と考えた。
そこには、「ものを使い切る」という文化があった。
しかし今は、内部は樹脂部品で複雑化し、コンピュータ基板はユニット化され、少し壊れただけでもアッセンブリーごとの交換となり、場合によっては本体そのものを交換する。便利になった代わりに、修理という文化が失われてしまった。
自動車も同じである。
昔はオルタネーターを修理し、スターターを分解し、部品だけを交換した。
そういう修理工場は至る所に存在していた。
今ではユニットごとの交換が当たり前になり、修理する技術より交換する技術が求められる時代になった。
効率だけを考えれば、そのほうが合理的なのだろう。
だが、合理性だけでは測れない価値もある。
私は「より美しく住み継ぐ家」を作るのがミッションと考えている。
理想論かもしれない。しかし、製品が生産終了した後も、
主要部品を共通化する工夫や、長期間修理できる体制を真剣に考えてほしい。
高額な商品を世に送り出す以上、それは製造者としての責任ではないだろうか。
これからは循環型社会と言われる。SDGsという言葉もよく耳にする。
しかし、本当に循環を目指すのであれば、
「買い替える社会」ではなく、「直して使い続ける社会」を目指すべきだ。
ものづくりとは、売ることではない。
時を重ねても使い続けてもらうことに、本当の価値がある。
家も、設備も、人の暮らしも。
長く愛されるものには、流行とは違う美しさがある。

092-942-2745