長崎材木店一級建築士事務所 十の思想
長崎材木店一級建築士事務所 十の思想
The Ten Principles of Homebuilding
「つくる。守る。住み継ぐ。」
2026.08.15
長崎秀人
長崎材木店一級建築士事務所 十の思想
― 家をつくるということ。―
はじめに
家をつくるという仕事には、たくさんの決断がある。
どの場所に建てるのか。どんな材料を使うのか。窓をどこに開けるのか。光や風をどう取り込むのか。
どこに手をかけ、どこを簡素にするのか。
時には、顧客の要望をそのまま図面にしないこともある。
家は、引き渡した日に終わるものではないからだ。むしろ、そこから始まる。
朝の光が入り、家族が食卓を囲み、子どもが育つ。庭の木が大きくなり、床や柱に傷がつく。
人が歳を取るように、家も歳を取る。私は、そういう家がいいと思っている。
だから私たちは考える。
なぜ、この材料なのか。なぜ、この窓はここなのか。なぜ、もうひと手間かけるのか。
一つひとつに、理由がなければならない。
私は2007年から「代表のつぶやき CAPTAIN’S TWEET」に、家づくりについて考えてきたことを書いてきた。
木のこと。設計のこと。職人のこと。手入れすること。古くなること。そして、家をつくり、守るということ。早いもので二十年になる。
長崎材木店は明治三十年に創業し、来年、百三十周年を迎える。これまで書いてきたものを振り返ると、その底には、いつも同じ考えが流れていた。
その考えを、十の思想にまとめた。
「長崎材木店 一級建築士事務所 十の思想」
The Ten Principles of Homebuilding
これは規則ではない。マニュアルでもない。仕事に迷ったとき、立ち返る場所である。
設計するとき。材料を選ぶとき。現場で迷ったとき。顧客と向き合うとき。
そんな時、考えてほしい。「我々なら、どうするか。」
そして、「どちらを選ぶべきなのか。」その答えを考えるために、この十の思想がある。
「これが長崎材木店一級建築士事務所の仕事だ。」そう胸を張れる仕事を残していく。
何十年か経ったある日、ふと、「いい家だな。」そう思ってもらえたなら、それでいい。
結局のところ、私たちが家をつくる理由は、そこにある。
この十の思想は、私たちが迷ったときに立ち返る基準である。
第一の思想
家を「商品」にしない。友達の家を建てるように。
もし、目の前の人が、自分の大切な友達だったら。
この材料で、本当にいいだろうか。
この間取りで、本当に暮らしやすいだろうか。
ここは、もうひと手間かけた方がいいのではないか。
予算を使うなら、もっと大切なところがあるのではないか。
きっと、そんなことを考えるはず。
売りやすいものを勧めるのではなく、その人にとって、本当にいいものを考える。
言われた通りにつくるだけではなく、**「こっちの方が、きっといいよ」**と、ときには友達のように本気で意見を言う。
家には、建てたあとからの長い時間がある。
そこで家族が暮らし、子どもが育ち、夫婦が歳を重ね、何十年という時間が流れていく。
だから私たちは、**「もし、自分の大切な友達の家だったら、どうするか。」**そう考えて作っていく。
設計する人も、施工を管理する人も、現場でつくる人も、家を守っていく人も。
迷ったときは、この問いに戻る。
友達の家を建てるように。
それが、私たちの家づくりの出発点である。
第二の思想
間取りではなく、暮らしの課題を解決する。
家づくりを始めると、どうしても間取りの話になる。
リビングは何畳。収納はいくつ。キッチンはここ。
しかし、それだけでは家はつくれない。
窓をひとつ動かせば、光が変わる。風が変わる。家具の位置が変わる。外から見た佇まいも変わる。
家は平面のジグソーパズルではない。
一.建主の想いと、暮らしに沿った間取り。
二.外観デザインや街並みとの調和。
三.敷地の条件やポテンシャル。
四.耐震や断熱といった住宅性能。
五.建築基準法や景観条例などの法規。
六.そして予算。
私たちは、それらをルービックキューブに例え、同時に考える。
設計とは、間取りだけをつくる仕事ではない。暮らしの課題を解決する仕事である。
第三の思想
「何が欲しいか」より「なぜ欲しいか」を考える。
例えば「大きなリビングが欲しい」と言われたとする。
そのまま大きなリビングを描くことはできる。
しかし私たちは、そこで一度立ち止まる。
なぜ、大きなリビングが欲しいのだろうか。
家族が集まりたいのか。友人を呼びたいのか。開放感が欲しいのか。庭を眺めたいのか。
本当に必要なのは、広さではないかもしれない。
私たちの仕事は、要望を図面に写すことではない。
その奥にある暮らしを見つけること。
WHATではなくWHYから考える。
第四の思想
自然素材ではなく、「本物」を使う。
私たちは木を使う。塗り壁を使う。自然由来の材料を選ぶ。
しかし、自然素材だから使っているのではない。
時間を受け止めることができるからだ。
無垢の木には傷がつく。色も変わる。手が触れたところには艶が出る。
それを劣化とは考えない。
人が暮らした時間が、素材に刻まれていく。
新品のときが一番美しい材料ではなく、十年後、二十年後、三十年後にも愛着を持てる材料を選ぶ。
だから私たちは、本物を使う。
第五の思想
新しさより、時間に耐える美しさを選ぶ。
流行は変わり続ける。
住宅のデザインも、設備も、毎年のようにモデルチェンジしていく。
しかし家は、流行よりはるかに長く残る。
完成した瞬間だけ美しい家ではなく、五年後。十年後。三十年後。
家族の時間が刻まれたとき、むしろ、愛おしく美しく見える家。
私たちは、そんな家をつくりたい。
目指すのは「映える家」ではなく「時間に映える家」。
第六の思想
設計と施工を分けない。
いい図面だけでは、いい家はできない。いい施工だけでも、いい家にはならない。
設計者が現場を知る。現場が設計意図を知る。職人が素材を知る。そして、その知恵を設計に戻す。
そこに境界線をつくらない。
私たちの出自は、材木商。
木を知り、職人と付き合い、家をつくる。そして、設計まで自分たちで行うようになった。
設計事務所でもあり、施工会社でもあり、材木商でもある。
私たちはこれを、アーキテクトビルダーと呼ぶ。
設計と施工を分けない理由は、もう一つある。
責任を、曖昧にしないため。
設計したのも私たち。つくったのも私たち。建てた後も守るのも私たち。
何かあれば、私たちが責任を持って対応する。必要な保証も、きちんと行う。
考える人、つくる人、守る人を分けない。
家づくりを一貫して担い、その責任も一貫して引き受ける。
それが、私たちの考えるアーキテクトビルダーである。
第七の思想
職人を「工事人」にしない。
図面があり、材料があり、人の手があれば、建物はできる。
しかし、それだけでいい家になるとは限らない。
職人には、その人なりの基準がある。
見えなくなるところでも、きちんと納める。
頼まれていなくても、もうひと手間かける。
「これでいい」ではなく、**「これでなくてはならない」**と思えるところまで仕事をする。
それが職人。
私たちは、職人を単なる工事人とは考えない。
設計者も、施工管理者も、自分の仕事に、自分なりの基準を持つ。
仕事に名前が残らなくても、仕事そのものに誇りを残す。
それが私たちの考えるクラフトマンシップである。
第八の思想
壊れたら直す。古くなったら手を入れる。
家は、完成した日から古くなる。
これは避けられない。
問題は、古くなることではない。
手を入れなくなることだ。
昔の人は、道具を直しながら使っていた。
靴も、時計も、家具も、車も。家も同じである。
傷んだら直す。塗装が落ちたら塗る。部品が傷んだら交換する。
そうして手を入れることで、ものは長く生き続ける。
私たちは、メンテナンスを故障対応とは考えていない。
手入れすることまで含めて、家づくりと考える。
第九の思想
家守りとして。
家を建てることは、私たちの仕事の始まりにすぎない。
家は、住み始めてから、その家らしくなっていく。
人が暮らし、季節を重ね、手を入れながら、家もまた歳を重ねていくもの。
雨漏りした。扉の調子が悪い。庭木が大きくなった。設備が壊れた。
何十年と暮らしていれば、家にもいろいろなことが起こる。
そんなとき、「あそこに言えば、なんとかしてくれる。」
そう思ってもらえる存在でありたい。
ヤモリは「家守」と書く。
決して目立たない。威張らない。けれど、いつもその家のそばにいる。
私たちも、そんな存在でありたいと思う。
家をつくった責任は、引き渡したからといって終わるものではない。
建てた家を知っている者として、その家族の暮らしを知っている者として、困ったときには手を差し伸べる。
つくることから、守ることへ。
家を建てる人であると同時に、その家を末永く守る人でありたい。
それが、私たち「家守り」としての役割である。
第十の思想
家づくりを「普請」に戻す。
昔、家を建てることを「普請」と言った。
普請とは、多くの人が力を持ち寄り、ひとつのものをつくること。
家一軒には、たくさんの人間が関わる。
施主。設計者。施工管理者。大工。左官。建具職人。庭師。そして、木を育てた人までいる。
誰か一人がつくっているわけではない。
それぞれの人間が、自分の仕事を持ち寄って、ようやく一軒の家になる。
だから私たちは、住宅を大量につくることを目的にしない。
年間23邸と定め、一邸一邸、手間を惜しまずつくる。
効率より密度。
量より深さ。
家を売るのではない。人の手と知恵を重ねて、一軒の家を普請する。
代々、百年以上続けてきた仕事を、現代の言葉で言い直せば、結局ここに戻ってくるのだと思う。
私たちの仕事と、十の思想
「長崎材木店 十の思想」は、一級建築士事務所のためだけのものではない。
設計する人。
現場をつくる人。
家に手を入れる人。
庭をつくる人。
土地や建物を扱う人。
建てたあとの家を守る人。
そして、人を迎える人。
一級建築士事務所は、つくる。
その土地を読み、建主の暮らしを考え、素材を選び、職人の手で一軒の家を形にする。
リフォーム・リノベーションは、活かす。
何でも新しくするのではなく、残すものを見極め、手を入れ、もう一度その家に新しい時間を与える。
お庭の仕事は、景色をつくる。
建物だけで家を考えず、窓の向こうの木や光、季節の移ろいまで暮らしの一部として考える。
不動産の仕事は、場所を見立てる。
土地や建物を売るだけではなく、そこでどんな暮らしができるのかを考える。
家守りやメンテナンスは、守る。
壊れたものを直すだけではない。手を入れながら、できるだけ長く、その家で暮らしてもらう。
私たちの仕事は、それぞれ異なる。
けれど、その仕事はすべてつながっている。
設計した家を、職人がつくる。
つくった家を、家守りが守る。
年月を重ねた家に、リフォームを施す。
庭もまた、家とともに歳を重ねていく。
そしていつか、その家が次の世代へ受け継がれていく。
だから私たちは、自分の仕事だけを見ない。
その前に誰が仕事をし、
そのあと誰に仕事を渡すのかまで考える。
それが、長崎材木店で共に働くということだと思う。
つくる。守る。住み継ぐ。
仕事は違っても、私たちが向き合っているものは同じである。
人の暮らしと、その場所に流れていく時間。
私たちが迷ったときの十の問い
仕事には、正解がないことがある。
そんなときは、この十の問いに戻ること。
一.もし、自分の大切な友達の家だったら、どうするか。
二.間取りではなく、暮らしの課題を解決しているか。
三.顧客の「欲しい」の奥にある「なぜ」を聞いたか。
四.新品の美しさだけでなく、十年後の姿を想像したか。
五.流行ではなく、時間に耐えるものを選んだか。
六.設計と施工を一体にし、責任の所在を曖昧にしていないか。
七.「これでいい」ではなく「これでなくては」と言える仕事か。
八.壊れたとき、直して使い続けられるか。
九.引き渡した後も、自分たちが家守りとして守っているか。
十.この一邸を「自分たちの普請」と胸を張って言えるか。
全部に「YES」と答えられるなら、大きく間違ってはいない。
企業としてのあり方について
「サンショのように。」
山にひっそりと実る、小さな粒。
香りは高く、ぴりりと効く。
目立つものではない。
だが、そのひと粒で全体の印象を変えてしまう。
なくても成立はする。
だが、あるかないかで、出来はまったく異なる。
わかる人は、それを知っている。
私たちも、そうありたいと思っている。
正直に言えば、誰にでも必要とされるものをつくる気はない。
わかりやすい価値や、その場の満足や、見た瞬間に評価されるものを求める人とは、そもそも目線が違う。
そういうものを否定しているわけではない。
ただ、私たちはそこに興味がない。
私たちは、誰にでも届くものよりも、深く届くものをつくりたい。
わかりやすい価値や一時の満足ではなく、時を経て効いてくるもの。
それが、私たちの興味のあるところだ。
サンショのように、小さく、さりげなく、しかし確かに効く。
香りの奥に、わずかな刺激を持ちながら。
なくてもいい人には、必要ない。
だが、これがないと物足りないと感じる人もいる。
私たちは、その少数のために仕事をしていく。
気づかない人には、ただのひと粒。
だが、それでいいと思っている。
それでも、ひと粒が世界を変えることがある。
おわりに
より美しく、住み継ぐ。
家は住み始めてから、その家らしくなっていく。
人が暮らし、木が焼け、床に傷がつき、庭木が育ち、子どもが大人になり、そこに時間が積み重なっていく。
その時間まで設計することはできない。
けれど、その時間を受け止められる家をつくることはできる。
私たちが目指しているのは、いつまでも新しい家ではない。
古くなっても、美しい家。
手を入れながら、愛着を持って使い続け、いつの日か、次の人へ渡したくなる家。
木を知ることから始まった私たちの仕事は、家をつくることへ進み、そして今、家を守ることまで含めた仕事へと広がってきた。
つくる。守る。住み継ぐ。
そのすべてを引き受ける。それが、長崎材木店の仕事。
より美しく、住み継ぐ。
私たちの仕事は、すべてここにつながっている。

092-942-2745