直せるものを、つくる
直せるものを、つくる
連休明け、いつも使っているレコードプレーヤーを修理に持っていった。片側の音が出なくなったのである。
いつも世話になっている馴染みの修理屋へ行くと、七十代半ばを過ぎたオヤジさんが出てきてくれた。二人で三十キロ近いプレーヤーを抱え、「ここじゃないか」「いや、こっちかもしれない」と言葉を交わす。
オヤジさんはテスターで通電を確かめ、半田ごてを手に、ひとつずつ原因を探っていった。ようやく見つかったのは、何のことはない、接触不良だった。その箇所に半田を入れて接続し直すと、左右のスピーカーから音が出た。
よかった、と胸をなで下ろしたあと、ふと考えた。
不謹慎な話かもしれない。この職人さんが五年後、十年後にいなくなったら、このプレーヤーは誰がメンテナンスしてくれるのだろうか。
人の手でつくられたものは、人の手で直せる。ただし、誰にでも直せるわけではない。どこが悪いのかを見つけ、どう手を入れるべきかを知っている人がいる。今日も、半田ごてとテスターを持つ前に、長年の経験を持つ職人の目と手が働いていた。
デジタルデバイスが搭載される前の古い車も、時計も、オーディオもそうだ。使い続けられるのは、直せるつくりであると同時に、直す人がいるからだ。その手が途絶えれば、まだ使えるはずのものも、やがて使えなくなる。
一方、いま身の回りにあるものの多くは、コンピューターや電子部品で制御されている。故障すれば、悪くなった箇所に手を入れるより、周辺パーツも含めてゴッソリ丸ごと交換することになる。交換する部分が大きくなり、費用もかさみ、結果「直すより買い換えたほうが安い」となる。これが使い捨て文化の縮図である。
コンピュータにより便利になったことは確かだ。けれど、人の手が入り込める場所は、少しずつ狭くなっているように思う。
家電などの設備がどれほどデジタル化・ブラックボックス化しようとも、家に関して言えば、幸いそれほど進んでいない。人の手が入る余地が十分にある。木を扱い、建具を調整し、壁を塗り直す。長く暮らすうちに傷みが出ても、手をかけて直すことができる。そうすることでより愛着も増す。
人の手でつくったものを、人の手で直す。
今日、再び音を鳴らしたプレーヤーを見ながら、私は思った。住まいだけはそうでありたいと。だからこそ、直せる家をつくるだけでなく、それを直せる職人の手や技術も守り育てていく必要がある。直しながら使い、手をかけるほどに愛着が増していく。そんな家を、これからも作り見守っていきたいと今更ながら思った。

092-942-2745