長崎材木店の普請
長崎材木店の普請
昔、「普請」という言葉があった。大名普請、安普請、普請道楽。いまではあまり耳にしなくなったが、かつて家を建てることは、単に「住宅を買う」ということではなく、「普請をする」と言った。
そもそも普請とは、禅宗から生まれた言葉だという。「普く(あまねく)請う(こう)」。多くの人に声をかけ、それぞれの力を持ち寄り、ひとつのものをつくり上げる。そこから、人々が力を合わせて行う土木や建築を「普請」と呼ぶようになった。
考えてみれば、家というものは、昔からそうやってつくられてきた。建て主がいて、大工がいて、左官がいて、建具職人がいて、庭師がいる。木を選ぶ者がいて、石を据える者がいて、土で壁を塗る者がいる。それぞれが自分の仕事を持ち寄り、一軒の家をつくる。家は「商品」というより、多くの人の知恵と手仕事を集めてつくるものだったのである。
長崎材木店の始まりは、材木商である。木を見て、木を選び、木を商う。我々のまわりには、自然と大工や職人たちが集まった。やがて時代の流れとともに、地域の職人たちを雇い家を建てるようになり、さらに設計を自ら行うようになった。材木商から、つくり手へ。つくり手から、設計する者へ。そして今は、家守りとして、建てた後の家を守るところまでが、私たちの仕事になった。
しかし、仕事の範囲は変わっても、その根にあるものは昔とそれほど変わっていないのかもしれない。木を知る者が素材を選び、設計する者が光や風、佇まいを考え、大工が木を刻み、左官が壁を塗り、建具職人が建具をつくり、庭師が最後に景色を整える。そして、住まう人がその家を使い、手入れをしながら暮らしていく。それぞれの人の知恵と技術と時間を持ち寄って、一軒の家をつくり、育てていく。それは、まさしく「普請」ではないかと思う。
だから私たちは、ただ新しい家をつくればいいとは考えていない。建てた時だけが一番美しい家ではなく、時間を受け止め、少しずつ深みを増していく家をつくりたい。
そのために、本物の素材を選ぶ。無垢の木、塗り壁、石、鉄。傷がつかない素材ではなく、傷さえもその家の記憶になっていく素材。古くならないものではなく、美しく古くなれるものを選ぶ。そして、それを職人の手で納める。
設計もまた同じである。流行の間取りや目新しいデザインではなく、光の入り方、風の抜け方、軒の深さ、窓の位置、天井の高さ、庭とのつながり。十年後、三十年後、五十年後にも、「この家が好きだ」と思えるものを考える。
家は、完成した瞬間が完成ではない。住む人の暮らしが重なり、木の色が変わり、床に傷がつき、庭の木が育ち、手入れを繰り返しながら、その家にしかない表情が生まれていく。私たちがつくりたいのは、そんな**「経年価値」のある家**である。
そして、建てたら終わりでもない。調子が悪くなれば直す。傷めば手を入れる。暮らしが変われば手を加える。そしてまた次の年月へと送り出す。つくることと、守ること。その両方があって、初めて家は長く生き続ける。
材木商として木を知り、設計者として暮らしと美しさを考え、職人とともにつくり、建てた後も家守りとして手を入れ続ける。振り返ってみれば、長崎材木店が百年以上かけてやってきたことは、ずっとひとつの「普請」だったのかもしれない。
時代が変わり、家づくりが産業になり、「住宅」という商品が売られるようになった今だからこそ、私たちはもう一度、この古い言葉を大切にしたいと思う。
時間に負けない家をつくる。
いや、できることなら、時とともに、美しくなる家をつくる。
本物の素材を選び、設計し、職人がつくり、住む人が育て、私たちが家守りとして守り続ける。三十年後、五十年後にも、好きでいられる家を残していく。
それが、材木商から始まった私たちの仕事であり、これからも続けていきたい、長崎材木店の「普請」である。

092-942-2745