なぜ、なに? プランニングにおけるWHY思考とWHAT思考
住宅プランニングにおけるWHY思考とWHAT思考
少し長文となるが大事なところなので読み解いてほしい。
私たちが家づくりを行う上で、最も大切にしていることがある。それは、顧客の要望をそのまま図面にしないことである。一見すると不思議な話かもしれない。注文住宅なのだから、顧客の要望を叶えることが仕事ではないのか。もちろん、顧客の話を聞かないという意味ではない。むしろ徹底的に聞く。ただし、その言葉をそのまま図面に落とし込むことはしない。なぜなら、顧客が口にする要望の多くは「答え」ではなく、「入口」だからである。家づくりには大きく二つの考え方がある。
WHAT思考とWHY思考である。WHAT思考とは、「何が欲しいか」から考える方法である。一方、WHY思考とは、「なぜ欲しいのか」から考える方法である。この違いは小さなようでいて、完成する家には驚くほど大きな差を生む。近年の住宅業界はWHAT思考が主流になっている。SNSを開けば、吹抜けのある家。平屋。大開口サッシ。アイランドキッチン。回遊動線。ファミリークローゼット。造作洗面台。ホテルライク。そんな言葉が次々に流れてくる。
そして設計者も顧客も、「何を取り入れるか」という発想になっていく。だが私は、ここに大きな危険があると思っている。なぜなら、それらはすべて手段だからである。本来、家づくりで重要なのは、何を採用するかではない。どんな暮らしを実現したいかである。ところがWHAT思考では、いつの間にか手段が目的にすり替わってしまう。
例えば、「平屋にしたい」という要望があったとする。WHAT思考であれば、「では平屋で設計しましょう」となる。しかしWHY思考では違う。
まず最初に、「なぜ平屋がなのか」と問いかけたり考えてみたりする。すると様々な答が返ってくる。老後の階段が心配だから。家族の気配を感じたいから。庭とのつながりを大切にしたいから。平屋の外観が好きだから。雑誌で見て憧れたから。理由によって答えはまったく変わる。もし老後が理由であれば、一階だけで生活が完結する二階建てでも良いかもしれない。もし家族との距離感が目的であれば、コンパクトな二階建ての方がむしろ向いている場合もある。もし庭とのつながりが目的なら、平屋か二階建てかよりも庭の設計の方が重要になる。つまり、平屋は目的ではない。平屋は手段なのである。しかしWHAT思考では、その手段そのものが目的になってしまう。
これは住宅設計に限らない。世の中の多くの失敗は、手段を目的化するところから始まる。収納も同じだ。顧客はよく言う。「収納をたくさん作りたい。」WHAT思考の設計者は収納を増やす。シューズクローク。パントリー。ファミリークローゼット。納戸。どんどん収納が増えていく。もちろんコストも増えていく。だが本当に必要なのは収納なのだろうか。WHY思考で考えると、なぜ収納が欲しいのか。という問いになる。片付かないから。物が溢れているから。リビングが散らかるから。では、なぜ片付かないのか。物が多すぎるのか。使う場所としまう場所が離れているのか。家族全員が物の住所を共有できていないのか。帰宅動線に問題があるのか。そこまで掘り下げると、本当の問題が見えてくる。実際には収納量の問題ではなく、動線設計の問題であることも少なくない。収納を増やしたのに片付かない家が存在する理由はここにある。WHATだけを解決してもWHYが解決していないからである。
吹抜けも同じ。大開口も同じ。最近では、「回遊動線が欲しい」という要望まで聞くようになった。だが本当に必要なのは回遊動線なのだろうか。なぜ回遊したいのか。家事を楽にしたいからか。朝の混雑を減らしたいからか。家族同士の動線がぶつかるからか。その理由によって設計の答えは変わる。ところがWHAT思考では、回遊動線を作ること自体が目的になってしまう。
その結果、ただ廊下が増えただけの家になる。坪数だけ増える。建築コストだけ増える。そして暮らしはそれほど変わらない。これがWHAT思考の怖さである。表面的な要望を満たすことに意識が向きすぎると、本来解決するべき課題を見失ってしまう。私は設計者の仕事とは、顧客の要望を叶えることではないと思っている。
もちろん要望は大切である。しかしそれ以上に大切なのは、その要望が生まれた理由である。なぜ吹抜けが欲しいのか。なぜ大きな窓が欲しいのか。なぜ平屋が良いのか。なぜ収納が必要なのか。なぜ家を建てるのか。そのなぜを見つけ出し解決策を提案し図面に書き込むことこそが設計者の役割だと思っている。例えば、「大きな窓が欲しい」という要望がある。WHAT思考であれば大きな窓を付ける。だがWHY思考では、なぜ大きな窓が欲しいのか。を考える。
明るい家にしたいのか。開放感が欲しいのか。庭を眺めたいのか。空を見たいのか。風を取り込みたいのか。理由によって答えは変わる。本当に欲しいものが明るさなら、大きな窓である必要はない。高窓かもしれない。中庭かもしれない。光を反射させる壁の計画かもしれない。開放感が目的なら、窓の大きさより視線の抜けが重要かもしれない。借景を取り込む設計かもしれない。つまり大きな窓は答えではない。一つの手段に過ぎないのである。
私は住宅プランニングとは、間取りを作る仕事ではないと思っている。暮らしを読み解く仕事である。さらに言えば、人生を読み解く仕事である。なぜ家を建てようと思ったのか。なぜ今なのか。どんな時間を大切にしたいのか。休日をどう過ごしたいのか。朝どんな気分で目覚めたいのか。帰宅した時に何を感じたいのか。家族とどんな距離感で暮らしたいのか。そこまで理解して初めて、本当の設計が始まる。だから私たちは、間取りの前に対話を行う。何LDKが欲しいかよりも、どんな暮らしがしたいかを聞く。何畳必要かよりも、どんな時間を過ごしたいかを聞く。
どんな設備が欲しいかよりも、何を大切に生きているかを聞く。なぜなら家は設備の集合体ではないからだ。家とは人生の器だからである。WHAT思考でつくられた家は、完成した瞬間がピークとなる。
新しい設備。流行の間取り。SNS映えする空間。最初は満足度が高い。しかし年月が経つと色褪せる。なぜなら流行は変わるからである。一方でWHY思考から生まれた家は違う。そこには暮らしの本質がある。家族との距離感。光の入り方。風の抜け方。庭との関係。素材の経年変化。時間とともに深まる価値。そうしたものは流行に左右されない。
私たち長崎材木店が目指しているのも、まさにそこだ。流行の家ではなく、人生に耐える家。要望を並べた家ではなく、暮らしの本質を整えた家。完成した瞬間が美しい家ではなく、十年後、二十年後、三十年後に風格が増す家。
そのためにはWHATから入ってはいけない。まずWHYである。なぜその要望が生まれたのか。なぜその暮らしを求めるのか。なぜその家を建てるのか。設計とは図面を描くことではない。本当の願いを見つけ出すことである。私たちは家を設計しているのではない。その家で営まれる暮らしを設計しているのである。

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