30年後からが勝負となる。
――本物の木の家というものは、不思議だ。
初めてその家に足を踏み入れたとき、派手さも、大げさな演出もない。
だが、どこか胸の奥で、静かに感じる。
「ああ、これは急いでつくった家じゃない」
そんな感覚が、じんわりと滲んでくる。
家というのは、本当は飾りじゃない。
誰かを驚かせるためにつくる舞台装置でもない。
暮らしが染み込み、時間が積もり、何年経っても深く息をしているような、
そんな場所であるべきだと、私は思っている。
その考えの基、我々は家を作っている。
木の床や壁を手で撫でると、わずかな凹凸が指に触れる。
これは工業製品の均一な滑らかさではない。
木が森で生きた証、雨風に耐えた痕跡、そして大工が丁寧に向き合った時間だ。
新築の頃は淡い木の色が光を跳ね返す。
だが十年も経てば、家族の暮らしとともに表情が落ち着き、
静かな影を宿し始める。
二十年も過ぎれば、その家はもう新しい家ではない。
住む人の人生と深く結びついた「帰る場所」になる。
それは偶然ではなく、意図的に
――我々は、最初から「時間とともに完成する家」をつくっている。
ひとつ、面白いことがある。
どの家を見ても、「我々らしい建物の形だ」と分かるのに、どれひとつとして同じ家はない。
それは建売のような“量産された家”ではなく、
建主の暮らし、そして土地のポテンシャル。
更には風や太陽の角度まで
すべて読み解いて設計しているからだ。
そうして生まれた空間には、説明できない心地よさがある。
椅子に腰を下ろすと、なぜか深く息が吸える。
窓から入る光は強すぎず、影までもが柔らかい。
人はそこで暮らすうちに、気づくのだ。
私は、家づくりにはひとつ大切な考えがあると思っている。
**「家は贅沢品ではなく、人生の器だ」**ということだ。
豪華さを競う必要はない。
流行の意匠に振り回される必要もない。
大切なのは――
そこに住む人が、自分らしく、静かに、誇りを持って暮らせるかどうかだ。
我々の作る家は、その答えを形にしている。
最後に、ひとつだけ。
本物の木の家は、建てた瞬間が最高ではない。
むしろ、建てたあとこそ、本当の価値が試される。
いうならば30年後からが勝負である。
我々の家は、時間に耐えうる。
そして、時間によって美しさが増す家。
表面のツルツルした面が経年でとれ、素材本来が持つ地肌が出てくる。
これこそ経年美である。
それは、派手ではない。
胸を張って語るような華やかさもない。
だが、夕暮れ時。
玄関灯がひとつ灯り、外の空気が静かに沈んでいく中、
ほんの一瞬、そこに息づく気配が浮かび上がる。
――それだけで、家は家族の帰りを待つ顔つきになる。
そこには、言葉は必要ない。
その佇まいが、静かにこう語りかけてくる。
「この家は、急がず、飾らず、
ただ丁寧に、あなたと共に生きてきた」と。
そんな家に帰る人生は、きっと悪くない。
いや、むしろ――
それこそが、本当の豊かさなのだと思う。

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