直せるものと、直せないもの
直せるものと、直せないもの
休みになると、実家の手入れをしている。
柱を磨き、建具を直し、無垢の床にオイルを入れる。
床間も掃除をして、季節の軸をかけたりと、少しずつ整えていく。
派手な仕事ではない。だが、こういう時間は嫌いではない。
長く人が住んできた家というのは、手を入れるときちんと応えてくる。
乾いていた柱は艶を取り戻し、建具はまた静かに滑るようになる。
無垢の床も、オイルを含むと木の匂いをわずかに返してくる。
家というのは、放っておくと黙り込むが、
手を入れると、また話し始めるものらしい。
そんな中で、どうにもならない場所があった。
縁側まわりの床である。
昭和の終わりごろに張った新建材のフロアーだ。
当時はこれが新しい材料だった。
表面はツルツルと光り、
雨に濡れてもさっと拭けばいい。
掃除が楽で、傷もつかない、手入れもいらない。
そういう触れ込みだった。
確かに新しい頃は、美しかった。
均一で、光沢があり、いかにも「美しい」という顔をしていた。
だが、四十年も経つと、その顔は消えていた。
表面の薄い単板が剥がれ、下地の合板が顔を出している。
こうなると、もうどうにもならない。
削ることもできない。
磨くこともできない。
塗ることもできない。
ただ、張り替えるしかないのである。
そのとき、妙にはっきりしたことがある。
世の中の物には、
直せるものと、直せないものがある。
新建材というのは、ある限界までは実に美しい。
だが、その限界を越えると、急に年を取る。
しかも、手入れも修理も効かない。
若さが終わった瞬間、
ただの傷んだ材料になる。
表面だけが材料で、中身は合板だからだ。
削る余地もない。直す余地もない。
一方で、木や石は違う。
無垢の床は、傷がつけば削ればいい。
汚れれば磨けばいい。
乾けばオイルを入れればいい。
直すことができる。
そして直すたびに、少しずつ味わいが深くなる。
柱は手に触れられて艶を帯び、床は人の歩いた跡を静かに刻む。
それは劣化ではない。時間が宿っていくということだ。
だから思う。
家に使う材料は、難しい理屈で選ぶ必要はない。
ただ一つ、直せるかどうか。
それだけでいい。
直せるものは、家と一緒に歳をとる。
直せないものは、ある日突然終わる。
家というのは、本来、
人の一生より長く残るものだ。
だから材料も、
その時間に耐えるものでなければならない。
本物の木や石は、
古くなるのではない。
古びる。
そしてその古び方が、家の風格になっていく。
家とは、新品のときに完成するものではない。
人が住み、手を入れ、少しずつ歳を重ねていく。
その時間の中で、ようやく、その人の家になる。
そういうものだと思う。

092-942-2745