ピンクガネーシャの御利益
ネパールのトリブバン国際空港から、タイ・ドンムアン空港へ飛んだ。空港からはタクシーで二時間。
バンコクの喧騒を抜け、景色が単調になった頃、目的地の「ピンク・ガネーシャ」は突然現れた。
巨大な象の姿をしたガネーシャは、全身が徹底してピンク色だった。装飾ではない。中途半端な色味でもない。
迷いのないピンクだ。「願いとご利益が三倍速で叶う」とされる、この場所だけのガネーシャ。
その瞬間、信仰というより、ひとつの完成されたテーマパークを見ているような気分になった。
ガネーシャはヒンドゥー教では決して珍しい存在ではない。商売繁盛、障害除去、学問の神。
どこにでもいる神様だ。だからこそ、差別化が必要だったのだと思う。色を変える。それも極端に。
ピンクに塗られた瞬間、ガネーシャは「無数にある像のひとつ」から、「ここに来なければ会えない存在」に変わった。
宗教的正統性より、記号としての強度。これは完全にマーケティングの勝利だ。
さらに、「三倍速で願いが叶う」という設定。検証不能であるほど、信じたくなる。
遠くから人が集まり、辺鄙なタイの田舎に観光の動線が生まれる。信仰と経済が、ここでは極めて自然に接続していた。
ガネーシャの足元にはネズミがいた。ガネーシャの乗り物であり、金運の象徴だという。
象が神で、ネズミがお金を運ぶ。分かりやすすぎる構図に、少し笑ってしまったが、
それでも私はそのネズミに向かって軽く願をかけた。真剣ではなかった。
ただ、ここまで来たから、という程度の気持ちだった。
宿は一人一泊1,300円ほど。現地の老婆がやっていた。窓のない部屋に、二段ベッドが並ぶドミトリー。
元は納戸か何かであろう。火事があればそのまま焼死。空気は重く、夜も昼も区別がつかない。軽く寝ることに。
翌日は早朝2時に出発し、上海行きの便に乗った。トランジットで福岡空港。
飛行機の窓から眺める景色は土色の景色からは白とみどりの景色へ。やはり日本は美しい。
問題なく帰国した。
翌日、荷物を開いて整理をしていると、違和感に気づいた。コンセント類をまとめていたケースがない。
タイの安宿に忘れてきたのだろう。仕方がない、そう思った直後、
そのケースに日本円で13万円ほど入れていたことを思い出した。
一泊1,300円の安宿で100倍の13万円を忘れてしまったようだ。
メールで問い合わせをしてみたが「何もなかった。ゴミは捨てた」と、つれない返信。
特に感情は湧かなかった。驚きも、怒りも、ほとんどなかった。
ただ事実として、なくなっていた。それだけだった。
ピンク・ガネーシャのご利益は、少なくともこの件には及ばなかったらしい。
初日のインドでのタクシー置き去り事件(後日記述する事としよう)に始まり、
ピンク・ガネーシャと13万円の話まで、この旅には無駄が多かった。
けれど、今はそれでいいと思っている。
無事に帰ってきた。
それだけで、この旅は終わった。

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