この世の縮図
この世の縮図
最近、産直市場に白菜の漬物や豆腐をよく買いに行く。
ラベルを見ると、生産者の名前がフルネームで書いてある。
作ったものに、自分の名前を入れる。
それは責任であり、同時にプライドでもあるのだろう。
さて、今日の本題。年寄りの戯言と思って聞いてほしい。
この世の縮図は、
「いいものを安く大量に」という言葉に詰まっている気がする。
安くするために、まず人の手間を減らしていく。
人は、食べ、眠り、休まなければ生きていけない。
だが機械は違う。
文句も言わず、止まることもなく、
オートメーションで昼も夜も動き続ける。
そうやって世の中は、
「大量に作り、大量に売る」という方向へ進んでいった。
さらに、大量に売るためには「安定」が求められる。
形が揃っていること。
品質にムラがないこと。
腐らないこと。
つまり、“不揃い”は嫌われる。
保存料や添加物、
便利さの多くは、
石油由来の素材によって支えられている。
ある意味では自然な流れだったのだろう。
しかしながら、そういうものが「優れた商品」と呼ばれるようになっていった。
気がつけば、街には似たようなものばかりが並ぶようになった。
どこで買っても同じ。
誰が作っても同じ。
さらには、誰が作ったのかもわからない。
人は、作り手の顔ではなく、価格を指標にするようになった。
「どれだけ安いか」が、
一番わかりやすい価値になったのである。
かつて、町には“顔の見える店”があった。
店主がいて、癖があって、好みがあって、
「これは本当にいい」と、自分の言葉で勧めていた。
だが今は、誰が作ったのかわからないものを、
誰とも話さず、セルフレジを通して買う時代になった。
もちろん、それが悪いと言いたいわけではない。
便利になったことで助かった人もいる。
昔より豊かになった部分も、確かにある。
それに、安いものを選ばざるを得ない時もある。
子供におなかいっぱい食べさせたい。
暮らしは、理想だけでは回らない。
だが、値段だけを基準にする世界に慣れすぎると、
人は少しずつ、「何を選んでいるのか」を考えなくなる。
「何が本当のものなのか」を感じ取る力。
安さばかりを追いかけていると、
感覚は少しずつ鈍っていく。
例えば豆腐で言えば、
効率化のための消泡剤。
大量生産のための乳化にがり。
外国産大豆や残留農薬の問題。
つまり、形だけは同じ、白くて四角いもの。
同じ「白くて四角いもの」なのに、口の中での仕事がまるで違う。
昔ながらの豆腐は、噛むとじわっと温度が伝わってきて、舌の上にねっとり絡まる。
大量生産の豆腐は、妙につるりとしていて、舌の上を滑って、そのまま喉の奥へ落ちていく。
そういう、価格では測れないものが、
少しずつ見えなくなっていく。
皮肉なものだと思う。
物は昔より遥かに増えた。
便利にもなった。
なのに、人の心はどこか痩せていく。
それは、お金の話だけではない。
大量に消費するより、
しっかりと吟味していく。
それでも現実には、忙しい日の夕方には、
私もついスーパーの安売りの豆腐をカゴに入れてしまう。
「本物を、少しだけ。」と言いながら、
手が伸びるのは“そこそこ”のほうだったりする。
選ぶ力。
感じる力。
そして、
「これは本来の味だ」と、
自分の感覚で言える力。
便利さの引き換えに、
私たちは、その感覚を少しずつ手放してきたのかもしれない。

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