本物の手仕事
──俵屋、眞松庵離れにて
京都の夜は、不思議な静けさがある。
その静けさに包まれていると、耳が外の音を探すのをやめて、内側に向かう。
心が、五感のひとつだったことに気づかされるような、そんな感覚。
俵屋旅館と、眞松庵の離れに泊まった。
どちらも、数寄屋建築の粋といわれる場所。
その陰には、一人の名工の存在がある。──中村外二。
いま、この名を知っている人は多くないかもしれない。
でも、木に触れる仕事をしていれば、一度はその名に出会う。
「良い大工とは、木を見極めることのできる大工です」。
生前の外二が残した言葉だという。
俵屋の客室に足を踏み入れた瞬間、思わず背筋が伸びた。
誰もいないのに「お邪魔します」と口に出る。
畳の目の向き、障子の透け方、光の入り方──
それらが「設計された」のではなく、「自然とそう在る」ように感じられる。
まるで、図面ではなく“手”が決めたかのような空間だった。
外二の仕事は、現場でこそ語られる。
わずかな狂いも許さぬ納まりの中に、ふとした余白がある。
その余白に、建物と向き合った時間の積み重ねが見える。
「手をかければかけるほど、美しさを増すのが数寄屋建築」。
外二が遺したその言葉の通り、建物は完成して終わりではない。
木は手をかけられ、時を重ねることで、艶を増し、深みを帯びていく。
それを可能にするのは、日々の手入れと、住まいへの敬意。
眞松庵の離れは、俵屋とはまた趣が異なる。
だが、骨格にあるものはやはり数寄屋だ。
障子の高さ、文机の位置、庭との間の距離感──
そのすべてが、暮らしと建築をつないでいる。
いい時を重ねてきた庵だ。
だからこそ、古びてもなお、美しい。
数寄屋建築は、削ぎ落とすことで完成に近づいていく。
それは、どこか人の生き方にも似ている。
余計な欲や飾り、語りすぎた言葉を捨てた先に残る、ほんの少しの“本物”。
中村外二は、手で人生を語った人だった。
その手でつくられた空間に身を置いた夜、
気づけば、自分の生き方をそっと見つめ直していた。
家をつくるということは、
誰かの人生の証を、木の中に刻むことかもしれない。
あの障子の線、柱の太さ、天井の高さ──
すべてが「計算」ではなく、「信念」だった。
また、あの建築に浸りたいと思う。
今度はもっと静かに、もっと深く。
たとえ中村外二の名を知らなくても、
彼の手が遺した空間に身を置けば、
きっと誰もが、心のどこかで“何か”を正されたような気がする。
それこそが、本物の手仕事ではないかと思う。