新春に想う。
昭和に、健さんに、そして家づくりに思う。
新年が明けた。
静かに迎えた正月だった。
年の瀬から三が日にかけて、テレビもラジオも遠ざけ、本棚の隅にしまっていた文庫本と、数本の映画だけを相手に過ごした。
この歳になると、不意に昭和が恋しくなる。
あの時代の、湿った風や、炊き立ての飯の匂いや、人の声がまだ角ばっていなかった時代。
今どきのように「最適化」とか「無駄の排除」とか、そういう言葉に縛られていなかった。
そんな気分にぴったり寄り添ってくれるのが、高倉健さんの映画だ。
口数は少なく、笑顔も多くは見せない。
だがその眼の奥には、消しがたい人間の情が灯っている。
義理や人情、損得よりも筋を通す生き様。
誰かのために、あえて損を引き受けることの尊さが、そこにはある。
いまの世の中では、そうしたことが「非効率」と切り捨てられる。
でも、本当にそうだろうか。
効率を追いかけるうちに、私たちは肝心なものをどこかに置き忘れてきた気がしてならない。
映画に出てくる風景や建物――
土の匂いが残る路地裏、木の軋む音がする長屋、誰かの人生が染み込んだ柱。
そして健さんがまとう、何の変哲もない、だが上質な一枚のコート。
それらすべてが、心を打つ。
家をつくるという仕事をしている。
ただ建てるのではない。
暮らしを形にし、思いを宿す場所をつくっているのだ。
健さんのような人が、黙ってそこに佇んでも、絵になる家。
そんな家を、今年も、つくっていきたい。