多くても三棟までしか建てられない──うちの大工の話
数寄屋建築を訪ねて京都へ赴き
職人の手跡に触れ、心が静まるのを感じながら、ふと思った。
──うちにも、熟練の大工がいるじゃないか、と。
名前が広く知られているわけではない。
雑誌に載るわけでも、会社のパンフレットに載るわけでもない。
けれど、彼らの建てる家には、確かな時間と、揺るがぬ信念が宿っている。
うちには六名の老練の棟梁がいる。
30年以上、うちの家を刻み続けた老練の手である。
親父の頃からの、私が子供の頃からいる者もいる。
一人の棟梁が手がけれるのは、年間で平均三棟。
大きな建物の場合、二棟しかできない場合さえもある。
たった三棟。いや、「三棟までしか」建てられない、と言った方が正確かもしれない。
なぜなら、その三棟には、全身全霊が注ぎ込まれているからだ。
自然の素材を一つ一つ、手で選び、
木のくせを読み、自らの手で造っていく。
既製品という新建材なんてない時代から仕事をしているものもいる。
「家を建てる」のではなく、「家をつくる」──その言葉の本当の意味を、彼は日々、現場で体現している。
昔は小屋入りと言って会社の隣の作業場で板木と墨壺片手に木材を手で刻んでいた。
今でもその名残はある。機械で木材を加工するプレカットなんてない時代である。
自然の素材を使ったうちの家は、彼らなしではあり得ない。
工期を縮めれば、棟数は増やせるだろう。
新建材を使ったり、分業にすれば、もっと早くなるのかもしれない。
でも、彼らの仕事は、そういう効率とは真逆のところにある。
たとえば、ある日。
小屋組みの納まりを決めるのに、一日中、屋根裏で腕を組んでいた。
寸法は出ている。構造的にも問題はない。
それでも、「なんか違うんだよな」と呟きながら、ずっと考え続けていた。
手を動かすよりも、悩む時間の方が長い。
でも、その悩み抜いた先にしか、本当に美しい納まりは現れない。
そのことを、彼らは知っている。
こういう棟梁が、今はもう、なかなかいない。
工場で刻まれた木材を組み立てる人達が増えてきた。
木を読める人。空間の気配を感じ取れる人。
そして何より、自分の名を刻む覚悟を持って、家を建てる人。
そんな彼らに頼む家づくりは、必然的に「急がない家」になる。
だからこそ、住み始めたときに気づくのだ。
──この家は、急いで建てられた家ではない、と。
柱の太さ、梁の高さ、鴨居の線の通り。
どれもが、静かに、けれど確かに、住む人の心に語りかけてくる。
「この家を建てたのは、機械でも会社でもない。人だったんだ」と。
本物の職人が年々減っていく中で、彼らのような職人が今も現場にいること。
それは、我々にとって、何よりの誇りである。
効率では測れない。
数値では表せない。
でも確かに「いい家」というものが、この世にはある。
そしてそれは、そういう棟梁がつくる家に、今も息づいている。
うちの一番の売り物かもしれない。
今度、記念に動画を撮ってみることにしょう。
※棟梁とは、もともと建物の「棟(むね)」と「梁(はり)」という、家屋を支える最も重要な構造部分に由来する言葉。このことから転じて、集団や組織の中心となる指導者やリーダー、またはその分野の中心的人物のことを言う。