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創業者の想い

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こだわりと技術 ― 職人と作業員、そのあいだにあるもの ―

こだわりと技術 ― 職人と作業員、そのあいだにあるもの ―

家をつくる、というのは、不思議な仕事だ。
図面があり、材料があり、

人の手があれば、家そのものは建てられる。
でも、それが「いい家」になるかどうかは、別の話。

若いころから現場に入って、いろんな職人たちの背中を見てきた。
厳しい人もいれば、無口な人もいた。やたらと細かい人、道具にうるさい人もいた。
だけど、みんな一つの共通点があった。
それは、「自分の仕事に責任を持っている」ということだ。

納まりひとつ、釘の位置ひとつで、現場でケンカになるような時代だった。
「これは俺のやり方じゃない」
「この材料なら、こう納めるべきだ」と目に見えない仕事をしていた。
誰に言われたわけでもない、自分の中にある“基準”を持っていた。

あれが“職人”というものだった。

彼らは、家を建てているというより、自分の仕事を“残していた”のだと思う。
言い換えれば、生き方の証を仕事に刻んでいた
それが、現場の空気をぴんと張らせる。私はいつも背筋を伸ばされたものだ。

ところが、最近は少し様子が変わってきた。
職人というより、作業員
言われたことを黙ってやる。納期を守る、ルールに従う。
もちろん、それも立派な仕事ではある。責任感も、丁寧さもある。
だけど、そこに“自分のこだわり”があるかというと、どうだろうか。

こだわりは、ときに面倒だ。
図面通りにやれば早いのに、「いや、こっちの方が納まりがきれいだ」
「この角度じゃ雨が流れない」
そう言って、ひと手間ふた手間かける。
時間はかかる。材料も無駄が出てしまうかもしれない。
だけど、職人は**「そのほうがいい」と信じている**。
そこに、技術と経験、そして“心”がある。

でも、今の現場では、その“心”が見えにくくなってきている。
若い人は修行に耐えれず辞めていく、ベテランが新人監督の指示に黙って従う。
「言われた通りやりました」と言えば、責任は逃れられる。
でもそれでは、ものづくりがただの労働になってしまう。

技術というのは、手の動きだけではない。
“なぜそれを選ぶのか”“なぜそのやり方にするのか”という、

考える力と判断力があって初めて、本当の技術になる。

昔の職人たちは、仕事が終わっても道具を丁寧に磨いていた。
鉋(かんな)を砥ぎ、墨壺の糸を整え、次の現場に備える。
それは見えないところのこだわりであり、誇りでもあった。
今、そんな姿を見る機会は減ったかもしれない。

でも、思うのだが。
「今の若い人たちがダメになった」のではない。
“こだわる”ということを学ぶ場が減ってしまったのだと。

指示通りやることが正しい、効率がすべて、早ければ良い――
そんな価値観が蔓延していく中で、

若い人たちが自分の仕事に“手の跡”をつける余白がなくなっている。

それでも、希望はある。

最近では小屋ブームなど「手仕事」を楽しむ人が増えている。
木を削り、釘を打ち、壁に自ら色を塗る。
誰かに頼らず、自分の手でつくるという行為に、静かな満足感を見出しているように見える。

それはただの作業ではなく、心を宿す時間だ。
人は本来、そうした時間に癒され、生きている実感を得るのかもしれない。

人間には「ものをつくる」ことに魅力を感じている。
原点に、きっと多くの人が惹かれている。

つまり、人は本来、つくることが好きなんだ。

だったら、会社として私たちがやるべきことは一つだ。
「こだわっていいんだ」と伝えること。
「このやり方が美しいと思うなら、貫いていいんだ」と支えること。

職人とは、誇りを持って働く人のことだ。
それは、年齢や経験じゃない。
どれだけ自分の仕事と向き合えるか、それだけだ。

こだわりは、技術を育てる。
技術は、やがて誰かを喜ばせる。
そしてその喜びが、また自分を支えてくれる。

そんなこだわりの真ん中にいる人間こそが、私の思う“職人”である。

「文・長崎秀人(長崎材木店一級建築士事務所 代表)」

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