AIができるからこそ、人がやるべきことが見えてくる。
AIの進化は目覚ましい。
調べる、まとめる、書く、計算する。
多くのことが、人間の手を離れつつある。
それは歓迎すべき変化だと思う。
人が無理に背負わなくてもよいことは、もうAIに任せられる。
仕事の定義は、確実に変わってきている。
では、人間はこれから何をするのか。
前述のような仕事の場合、徹底的にAIにさせて良いのかもしれない。
その空いた手間や時間を何に使うべきなのか。
それは
効率ではなく、熱い感情でもなく、
もっと静かな領域――
「相手や物事を思う」という、ごく自然なふるまいが
あらためて、意味を持ちはじめているように思う。
「調べることがAIに任せられるなら、“感じ取ること”は人にしかできない。」
たとえば、答えのその先を見越した行動。
たとえば、自分なりの考えや判断。
たとえば、気配を読むこと。
そうした行為は、どれも数値化しにくい。
だが、それがあるかないかで、想いは伝わる。
さらにいうならばデジタル(PC)がない頃に人間が本来持っていた心なのかもしれない。
アナログの世界。私が好きな1970年代、言うなれば昭和の世界。
AIが多くのことを担えるからこそ、
人間はもっと「人にしかできないこと」に注力できるようになる。
それは、特別なことではない。
少しの気づきやアイデア工夫。ささやかな思いやり。
特段、派手ではないが、
そういう積み重ねが、日々をつくっていく。
技術が進めば進むほど、
人の役割は“目立たない領域”へとさらに移っていく。
そこに、
人間としての本質があらわれるように感じている。