責任のない設計と、設計のない責任のあいだで——
今日も早朝から、静かに雨が降っている。
梅雨の季節だ。
責任のない設計と、設計のない責任のあいだで——
家というものは、完成した日が「終わり」ではなく、「始まり」なのだと
気づくのは、ずっと後になってからのことが多い。
少し前、とある建築家の作品が話題になっていた。
見た目は洗練されていて、名前も知られている。
雑誌にも、ネットにもよく映える。
——けれど、設計と施工は、まったく別の話だ。
日本の建築業界には、昔から“分業”の慣習がある。
設計は設計事務所、施工は工務店。
どれほど無理のある設計でも、住んだ後の不具合を見るのは、建てた側の責任。
つまり——
設計はするが、責任は取らない。
責任は取るが、設計はできない。
そんな構図が、今も当たり前のように続いている。
けれど、住宅建築において、それでいいはずがない。
一生に一度の家を託されるということは、
人生そのものを預かることだと、私は思っている。
だから私は、最初から最後まで、自分たちでやると決めている。
設計から施工、そしてアフターケアまで——すべて自社で担う。
外部に設計を任せることもなければ、責任を分散させることもない。
それは、効率のためではない。
信用を守るためである。
建築とは、「筋を通す仕事」だと思う。
誰の家を、誰が設計し、誰が建て、誰が見守るのか。
そのすべてを、自分の名前で引き受ける覚悟がなければ、
家づくりを語る資格はない。
これが「当たり前」でないのなら——
その「当たり前」を、私たちはただ、黙ってやるだけ。
黙って、ちゃんとつくる。
それが、私のやり方。