「手の力」
手の力
――機械にはつくれない“ぬくもり”がある
先日、福岡・中洲のライブハウスに足を運んだ。
ステージに立っていたのは、71歳のブルースマン、木村充揮(元・憂歌団)と、72歳のギタリスト、有山じゅんじ(上田正樹とサウス・トゥ・サウス)。
ギターだけの、しみじみとした夜だった。
派手な照明も演出もない。ただ、ギターと声だけ。
観客は皆、――静かに音を聴きにきた、大人たちばかりだった。
二人とも、声はしわがれ、かすれていた。
だがその“かすれ”が、どうしようもなく胸に残る。
有山氏もまた、「最近、手が痺れてねぇ」と笑っていたが、
その手でつま弾くギターの音は、じわりと深く染みわたった。
暗がりの中で、手元ばかりが気になる
その晩、妙に目が離せなかったのは、彼らの“手”だった。
照明が薄暗いぶん、ギターを押さえる指先、弦を弾く動きが、やたらと印象に残った。
ふと、思った。
人間の「手」というのは、
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音を鳴らし、
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字を綴り、
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道具をつくり、
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図面を引き、家をつくる。
それだけの力を、宿しているんじゃないか――と。
年齢を重ねても、痺れがあっても、
なお楽器を奏でる手には、人としての“誇り”と“矜持”が宿っていた。
機械では出せない“ゆらぎ”がある
今は、何でも自動でできる時代だ。
図面も、加工も、検査も、すべてがデジタルで済む。
だけど、それだけでは“歌”にならない。
ギターだって、弾く人がいて、手があって、音になる。
その“ゆらぎ”や“間”こそが、人の心に刺さる。
家づくりも、まったく同じだ。
ノミを入れ、木を刻み、仕上げを撫でる。
そのどれもが、「手」がなければ生まれない。
家も“音楽”のように、人の手でつくられている
私たちがつくるのは、ただの構造物ではない。
家族の記憶が刻まれ、
人生の喜怒哀楽が染み込む“器”だ。
だからこそ、手でつくる。
正確さより、確かさ。
効率より、温度。
「この家は、俺が仕上げた」
「この建具は、あの職人の仕事だ」
そんなふうに語り継がれる家こそ、本物だと思っている。
最後に
あの夜、彼らの演奏を聴きながら、
私たちの仕事の原点を、あらためて思い出した。
「手の力」――それは、神が人間に与えた贈り物かもしれない。
どれだけ技術が進んでも、
どれだけ時代が変わっても、
最後に人を動かすのは、“手でつくったものの力”だ。
私たちは、それを信じて、家をつくっている。
「文・長崎秀人(長崎材木店一級建築士事務所 代表)」