暮らしの自由宣言
カーテンが閉まったままの家に、自由はあるだろうか。
朝の散歩で、新築の家を見かけることがある。
外観は整い、今時の、最新式の家である。
しかし、窓には一日中カーテンがかかったまま。
その光景を見るたびに、私は心の中でつぶやく。
――そもそも、窓とは?カーテンとは?
多くの人は、
「窓にはカーテンを付けるものだ」
「南側には大きな掃き出し窓をつくるものだ」
という固定概念に縛られている。
だが、道路や隣家が近い敷地では、結局こうなる。
一日中、カーテンを閉めっぱなし。
光は遮られ、視線は止まり、室内空間は狭く見える。
せっかくの透明な窓が「ただの壁」になってしまっている。
カーテンが美しく感じられるのは
開け放たれた窓辺にたなびくレースの影であろう。
窓に必要なのは、布ではなく、光と抜けだ。
■ カーテンがいらない家は、設計でつくられる
視線が気になる。
室内が見えるのが不安。
――それらはカーテンで隠す問題ではない。
マンションやアパートならいざ知らず
設計の力で最初から消しておくべき問題だ。
先述のように多くの人は「窓にはカーテン」「南側には大きな掃き出し窓」という固定概念を持っている。
だが、道路や隣家に近い場合、結局はずっと閉じたままではないだろうか。
カーテンが閉まり、視線が布で止まると、空間は途端に狭く見える。
どれだけ大きな窓でも、布一枚で世界は閉ざされてしまう。
窓に必要なのは光と抜けであり、開放感だ。
■ カーテンがいらない家は「設計」でつくられる
視線や光が気になる理由は、「設計」で解消できる。
例えば――
南側には掃き出し窓二つという固定概念を捨て、
プライバシーも保ちつつも景色の抜ける方を設計の意思で目一杯開ける。
敷地をしっかり読み解き視線の抜けを意識した設計を行う。
隣家の窓の位置も設計に落とし込む。
遠くが見通せるところに窓を設ける。
高窓(ハイサイドライト)
視線が通らず、空と光だけが部屋に入る。
木製ルーバー
視線を遮りながら、風と光を通す。
ピクチャーウィンドウ
外の景色を額縁のように切り取り、見せたい景色だけ意図的にみせ部屋に広がりを生む。
植栽や外構の計画
視線を窓の手前ではなく、敷地の外側で止める。
こうした設計を最初から行えば、
カーテンはそもそも必要なくなる。
不安をカーテンという布で覆うのではなく、建築の力で解決する。
余計なものを足すのではなく、
余計な景色を設計の力で「消す」。
それがカーテンレス設計の本質だ。
そもそも敷地の環境も考慮せず南側には大きな窓。南側道路の敷地は最高。
という固定概念からこの問題は起こる。
■ カーテンレスの空間は広く美しく見える
カーテンがないと、視線が外へ抜け
結果として、
部屋が実際よりも広く感じられる
開口がスッキリと見え、インテリアの質が上がる
光と影が美しく入り、暮らしに表情が生まれる
特に両サイドに布が残るカーテンは、開口部をだらしなく見せてしまう。
ロールスクリーンも悪くはない。
しかし、私がすすめたいのはブラインドだ。
必要な時だけ使い、普段は消えている存在になる
光の方向をコントロールできる
風を通しながら視線を遮れる
カーテンは「隠すための道具」
ブラインドは**「光や風を操る道具」**
窓はただの開口ではなく、
光や風や景色をデザインする装置。
■ 家づくりは「足す」より「引く」で完成する
家を美しくするのは、過剰な装飾ではない。
必要のないものを置かない勇気
余白を残す潔さ
それが空間に品格を与える。
「窓を、カーテンから解放しましょう。」
そう言い切れる設計は、思想である。
暮らしを信じる姿勢である。
私は、そういう窓が好きだ。
■ 最後に:カーテンは「最後の手段」であればいい
もちろん、暮らし方は人それぞれだ。
カーテンを全否定したいわけではない。
ただ、
設計の力で解決できる問題を、カーテンという布に任せない。
そんな家づくりが理想である。
あなたの家の窓は、
光を迎え入れているだろうか。
それとも、不安を布で覆っているだろうか。
家づくりの相談では、遠慮なく聞いてほしい。
「カーテンのいらない家ってできますか?」と。
その質問こそが、暮らしの自由の第一歩になる。

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